プレゼンテーション@Kobe Club
今日は神戸外国人倶楽部のウィメンズクラブにお招きを頂き、
日本の建築に関してお話をさせて頂きました。
タイトル:
土と火の出会い - 外国人の目線で日本の建築について
プログラム:
①イタリアの背景・ビラノーバ城プロジェクト
②ミニマリズムのアピール
③自分が見つけた日本
④日本在住イタリア人の建築事例
⑤個人邸のコンセプト・プランニング・製作の流れ
⑥火と土の出会い:イタリアンタイル
一部、写真を見せながら、谷崎潤一郎の陰翳礼讃から読ませていただきました。
あんまりにもすばらしい文書なので途中で拍手を頂きました!
時間がある時是非お読みください。
「もし日本座敷を一つの墨絵に喩えるなら、障子は墨色の最も淡い部分であり、床の間は最も濃い部分である。私は、数寄を凝らした日本座敷の床の間を見る毎に、いかに日本人が陰翳の秘密を理解し、光りと蔭との使い分けに巧妙であるかに感嘆する。なぜなら、そこにはこれと云う特別なしつらえがあるのではない。要するにたゞ清楚な木材と清楚な壁とを以て一つの凹んだ空間を仕切り、そこへ引き入れられた光線が凹みの此処彼処へ朦朧(もうろう)たる隈(くま)を生むようにする。にも拘らず、われらは落懸(おとしがけ)のうしろや、花活の周囲や、違い棚の下などを填(う)めている闇を眺めて、それが何でもない蔭であることを知りながらも、そこの空気だけがシーンと沈み切っているような、永劫不変の閑寂がその暗がりを領しているような感銘を受ける。思うに西洋人の云う「東洋の神秘」とは、かくの如き暗がりが持つ無気味な静かさを指すのであろう。われらといえども少年の頃は、日の目の届かぬ茶の間や書院の床の間の奥を視つめると、云い知れぬ怖れと寒けを覚えたものである。しかもその神秘の鍵は何処にあるのか。種明かしをすれば、畢竟それは陰翳の魔法であって、もし隅々に作られている蔭を追い除けてしまったら、忽焉としてその床の間はたゞの空白に帰するのである。われらの祖先の天才は、虚無の空間を任意に遮蔽して自(おのずか)ら生ずる陰翳の世界に、いかなる壁画や装飾にも優る幽玄味を持たせたのである。これは簡単な技巧のようであって、実は中々容易でない。たとえば床脇の窓の刳(く)り方、落懸の深さ、床框の高さなど、一つ一つに眼に見えぬ苦心が払われていることば推察するに難くないが、分けても私は、書院の障子のしろじろとしたほの明るさには、ついその前に立ち止まって時の移るのを忘れるのである。」
ご興味がありましたら、全部→陰翳礼讃をお読みください!
Tanizaki JunIchiro / In Praise of Shadows (english)
また機会がありましたらこの話をしてみたいなと思いました。